発達障害母の見た自閉症東田直樹さん「22歳までを振り返って」講演その6

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通信制高校

 

  • 結局、定時制高校を受験したが不合格となり、通信制のアットマーク国際高等学校が、僕を受け入れてくれることになった。

 

  • 僕はひとりで勉強することができないので、母が教科書を音読してくれたり、問題の解き方を教えてくれたりした。

 

  • 年に一度、石川県で開催される3泊4日のスクーリングでは、さまざまな人と知り合いになることができたが、久しぶりに同じ教室で学ぶ同世代の仲間たちは、すっかり大人になっていて、僕だけ時間が止まったかのような数年間を過ごしていたことに、心は打ちのめされた。

 

  • 現実の社会は僕が考えているより、ずっと厳しく、僕の居場所はどこにもないことを実感した。

 

  • ほとんど自宅で過ごしているような高校時代だったが、高校は3年間で卒業することができた。

 

 

 

作家になるために

 

  • 講演や本の出版は高校時代も行っていたが、本格的に作家を職業として意識し始めたのは、高校卒業後。

 

  • 高校卒業後、僕は少しだけ作業所に通っていたことがある。

 

  • ずっと自宅で過ごしている僕を心配して、両親が強く勧めてくれたからだ。

 

  • そこでは、パソコンの打ち込み作業などをしていたが、結局は続かずに自分の意思で辞めてしまった。僕にはそういう場所が合わない。

 

  • 人から見れば、協調性がない、落ち着きがないなど、いろいろな理由が当てはまるだろう。けれども、一番の原因は、僕がやりたいことが、そこになかったから。

 

  • 作業所に通いながら、作家活動をするという選択もあったと思うが、僕には無理だった。なぜなら僕は、自分の時間をすべて作家になるためだけに使いたかったから。

 

  • 両親も僕の将来については、いろいろ思い描いていた理想像があったと思うが、僕の気持ちを尊重してくれたことは、今でもありがたく思っている。

 

  • 現在僕は「文字盤ポインティング」という方法で、コミュニケーションを行っている。

 

  • 文字盤というのは、パソコンと同じキーボード並びのアルファベットを画用紙に書いたもの。これを見ながら、僕は忘れてしまう言葉を思い出す。

 

  • この方法は、例えばテレビに出ている俳優が、誰かわからなくても、頭文字が出てくれば名前を思い出せる感じと似ている。

 

文字盤を見ているときの僕の頭の中は、こんな感じ。

 

  • 言いたかった単語を思い出すために、文字盤やパソコンのキーボードを見る。

 

  • 気になる文字が目に留まる。例えば「K」

Kが見つかるとKA.KI,KU,KE,KOが、頭の中にあらわれる。

 

  • その中から、最初の文字が見つかる。それが「KA」なら、文字盤のアルファベット「K」、「A」を指す。すると、かさ、かき、かく、かわいいなど、KAで始まる単語が、頭の中に現れる。

 

  • この中から、言いたかった単語の「かく(書く)」が見つかる。(練習することで、次の言葉を探すスピードが速くなる)。

 

出会い、つながり、ともに生きる

 

  • 僕にとって出会いとは、この社会で生きている実感から生まれてくるものだと思う。

 

  • 自分が社会の一員として、存在している手ごたえを感じられるかどうか。

 

  • 人とのつながりは、義務や強制によって、成り立っているものだけではなく、ただ、挨拶を交わしたり、見つめあったりすることでも、幸せを感じられるように、ちょっとしたふれあいの中においてもあるはず。

 

  • 人は、人の中でしか、生きられない。

 

  • だからこそ、共に生きるという言葉が生まれたのだろう。

 

  • 共生社会とは何か、僕はその答えを、これから探すつもりだ。

 

ご清聴ありがとうございました

 

東田直樹さん講演質疑応答