発達障害母特徴「大人になっても困難は続く」がある日クリア

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ある日突然、霧が晴れたようにクリアになる…。

 

発達障害子どもを持つママとのランチタイムにその言葉を聞いて、私は電撃が走りました。それは、私にしかわからない納得のいく一言だったからです。

 

お仲間さんが話してくれた、

お知り合いの「自分自身が発達障害だと認識して納得した」という女性が、「ある日クリアになる」、と自分自身のことを表現していた、とは、思いっきり的を射る表現だからなんです。

 

意味不明な小中学時代を過ごして、県外の私立高校へ進学した私は、それなりに高校生活を送っていたけど、ある日自分の発言で、クラスで孤立するようになりました。

 

私を思ってくれて、「あの発言はひどかったと思う。もう2度としないでほしい、そうしないと誰もしゃべってくれないよ」と忠告してくれたクラスメートがいたんですが、それが私自身何について言われているのか、何か別の人の話なのか…何がそんなにまずかったのかさっぱり意味不明でした。

 

当時を思い返すにきっと誰かに面と向かって「おデブ」とか「顔がでかい」とか言ったんだろうな~って気がしています。

 

そのことを思い出すとき、言ってくれた人とセットで思い出すのが、背が高く、色がちょっと浅黒いかなり大柄な同クラスの人の顔が浮かぶからなんですが、なぜそんなことを言ったのかちっともわからぬままでした。

 

 

 

 

それがあってから、やっぱりクラスでは疎外されているように感じるようになって、意味が分からないから謝ることもせず、高校生活は味気ないものでした。

 

なんとか学校に行けていたのは、違うクラスの人と登下校するようになったからで、自分のクラスでは誰も友だちができなかったそんな1年を過ごして、持ち堪えられず2年から1年間休学して、高校生活は4年になりました。

 

高校2年以降もほとんど1人で過ごす日々で、結局修学旅行も行かず…。

 

親の理解や周りの理解はなく、学校側も私には辞めてほしいようでした。担任は、学校を休む時点で「退学」をしきりと勧めてきていたらしく、それがどんなに屈辱的なことかもあんまり気が付いてなかったのです。

 

今にしてみると驚きですが、それは頑張ったとか、よく耐えたとかそんな根性話や粘り勝ちとかの発想じゃなくて、何が起こっているのか何があるのか、何故そんな風にみんなが振る舞うのかもさっぱりわかっていなかったからです。

 

たとえば、頭にベールが貼ってあるような…。そして遠くの方で声が聞こえるような‥‥。

 

そのベールが取れた感じがしてきたのが、30歳くらいかもしれません。ちょっとずつ霧が晴れるかのようにクリアになってきたような感じがしていたのです。

 

なんでそうするの?

なんでそこ行くの?

なんでそれを話しているの?

とかいろいろいろいろ…。

 

そういった意味不明なことが少しずつクリアになってきた感じ…。私の場合は、「ある日突然クリアになる」という感じでなく、「少しずつクリアになる」感じでしたけど、それは見えてなかった世界が、開けてきたような感じだったわけなんです。

 

 

 

 

だから今はわかります。太っている人に「太っているね」って言っちゃいけないし、泣き止まない小さな子どもに、「うるさいよ」って言っちゃいけない。

 

ということはですね、時間はかかるけれど、本人にその気があって、周りの温かい関わりがあれば、「楽に生きられる」ってことじゃないでしょうか。

 

何かの参考になればうれしいデス。

今日も読んでいただきありがとうございました。