発達障害母の見た自閉症東田直樹さん「22歳までを振り返って」講演その5

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養護学校

 

  • 養護学校では、生徒一人一人に対して、障碍者の特性にあった授業がされていた。

 

  • けれども、普通学級から転校した僕にとっては、物足りない時間に思えた。勉強らしい勉強はなく、自立のために日常生活の基本を学ぶ学習が多かった。

 

  • その頃の僕は自暴自棄になっていたので、まじめに授業を受けてはいなかった。

 

  • ぼんやりと先生のいうことを聞き、休み時間になると絵本をながめたり、工程を歩いたりして過ごしていた。

 

  • 自分が自閉症であることは知っていたが、小学校5年生までは、普通クラスに在籍していたので、最初は障害児ばかりがいる環境になじめなかった。特に重度の自閉症同士だと会話らしい会話もできない。

 

  • それでも、一緒に行事や作業をやっていく中で、少しずつ仲間としての友情も育っていったと思う。

 

  • 僕と同じ障害の友達は、みんな言動が似ていると感じた。そして、これが自閉症の特徴だと、改めて知った。

 

  • 養護学校では、視覚的な表示やわかりやすい説明をしてもらうことができたので、僕は指示されたことに対し、以前より楽に動けるようになっていた。

 

  • 僕には、自閉症者に対する配慮というものが必要だったことを学んだ。

 

  • それがわかってからは、将来の自立を目標に一生懸命頑張った。

 

中学部卒業後

 

  • 養護学校を卒業した生徒のほとんどは、作業所や施設に通っていたので、僕もいつかは自分に合う居場所を見つけられればいいと、考えるようになった。

 

  • しかし、いざ中学部3年生になると、僕は悩み始めた。人生の選択を人任せにしているのではないか、僕のやりたかったことは本当にそこにあるのか、自問自答を繰り返すようになった。

 

  • 作業所や施設を否定しているわけではない。僕に合う仕事を、自分の力で見つけたいと思うようになった。

 

  • 僕は、もう一度普通といわれる人たちの中で勉強することを決心した。

 

  • 養護学校時代も連例相応の勉強は、自宅でやっていたが、僕に学力があることを一般的なテストや面接でわかってもらうには、困難なことだった。それでも、必死に受験勉強に取り組んだ。

 

 

 
発達障害母の見た自閉症東田直樹さん「22歳までを振り返って」講演その6へ続く

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