発達障害母の見た自閉症東田直樹さん「22歳までを振り返って」講演その4

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病院へ

 

  • 両親は、みんなとは違う僕を、とても心配して、いろいろな病院に連れて行ってくれた。

 

  • しかし、検査や診察をしても、僕の障害は治らなかった。

 

  • 僕は、検査を受けるたびに、本当にダメな子供なのだと思い知らされた。

 

  • 医師から説明を受けて落ち込んでいる両親の姿を見ては、僕なんかいなくなればいいのにと、何度思ったかしれない。

 

  • 僕は、心の中ではいろいろなことを考えていましたが、話すことはできなかったので、自分の気持ちを人に伝えたことはなかった。

 

  • 話そうとすると、頭の中が真っ白になってしまうから。

 

小学校

 

  • 小学校は、普通クラスに在籍した。

 

  • 僕は多動で、集団生活が全くできなかったので、授業中も母が付き添うことになった。

 

  • なぜ、普通クラスに通いたかったのか、それは今から考えると、僕のわがままだったような気もする。

 

 

  • 友だちと一緒にいなければ、僕だけみんなみたいな未来は訪れないと思い込んでいた。

 

  • 僕は、怖かった。
  • 障害を抱えているのは、話せないことだけでも十分にわかっていたから、こんな僕が普通の大人になれるはずがないことは、簡単に予想できた。

 

  • 僕は、自分がこの先どうなるのか不安だった。
  • 母は、いつも笑顔で僕の隣にいてくれた。

 

  • 学校で毎日付き添うことが、どんなに大変だったか、その頃の僕は知らなかった。

 

  • 僕は、みんなに言われたことを、自分のこととしてとらえられない。

そのため何をすればいいのか、どこを勉強しているのかわからなくなるの

だ。すると混乱して、席に座っているのも辛くなる。

 

  • 僕は、とにかくみんなに追いつきたい気持ちでいっぱいだったが、それは難しいことだった。

 

  • 僕は、みんなとは物の見方や考え方さえも異なっていた。

 

  • どうやったら、僕らしくいきていけるのか、わからなかった。

 

  • 神様にお願いして眠れば、次の日には普通の子になっているのではと、何度思ったかしれない。

 

 

  • しかし、朝目覚めて見る景色は、いつも同じだった。相変わらず僕は、みんなより遅れていて、どうにかしなければいけない子だったのだ。

 

  • 僕は、みんなのように話せないばかりか、普通では理解できないような行動もする。

 

壊れたロボット

 

  • まるで壊れたロボットを操縦するような体。
  • 言葉は理解していても、それを行動に結びつけることもできない。

何をするにも気持ちに折り合いが必要で、成功体験をイメージしないと、簡単な指示にも従えない。

 

  • 意味のない行動を繰り返すこだわりは、僕から自由を奪ってしまう。

 

  • 奇声や独り言も、自分が望んでやっているわけではない。

 

  • 人を困らせてばかりいると思われているが、実は、僕自身が一番困っていることを、一体誰が想像できるのか。

 

  • その頃の僕には、みんながまぶしすぎた。
  • 逃げるようにして、みんなと別れた。

 

  • 僕は、どうして、僕のような人間がこの世界に存在するのか、生きる意味を探すようになった。僕には、自閉症者としての自分と向き合う時間が必要だった。

 

 
発達障害母の見た自閉症東田直樹さん「22歳までを振り返って」講演その5へ続く

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